ミスタードーナツのシュトックハウゼン

pesce2004-03-15

 キムタク似のid:ykuriharaさんが少し前に言及していた菊地さんのエッセイ、偶然にその少し前に思いつきでウェブアーカイブからSWIMやGROOVE IDの頃のテキストの一部を引っ張りだして眺めたりしてミスタードーナツ・・・も発見し、更にうちにあった銀星倶楽部テクノポップ特集('89)に菊地さん初エッセイが載ってたのを思い出しちら読みしたり、していたのですが同期するものですね、にちゃんねらとまで。そういやここ数ヶ月、毎週水曜と日曜の夜は九時頃このエッセイが書かれたミスドに立ち寄って紅茶を一杯のみ本を読むか手紙を書くというのがコースになっているのです。眺めていたのは当初調べものだったんですけど、途中からは部屋の片づけの途中で止まってしまう人のアレだ。まあこんなことしていて原稿遅れたのかと言われると弁解の余地ないんですけど(南と東に向かって土下座)。
 そして上海で原稿書いたりテープ起こしていた日に合間合間の時間になぜか考えていたのが以前に彼が自身の日記でもとりあげていたフィッシュマンズ問題。彼のファンに元/現フィッシュマンズファンが多いと言うことはずいぶん前から本人も言ってて私も実例を大量に確認しているし、私自身が初期フィッシュマンズファンだった、うえにミュージシャンでもフィッシュマンズチルドレン的な人々と何かと縁があるので、まあわかるんですが。
 菊地さん自身はこれについては確か「カリスマを失って動揺している民衆」だとか「共通するのは世界が変わると信じたことのある人」だとか言ってたと思うのだけど、当初の思いつきのまま放置している基本として「言葉」と「音楽」の両輪で起こるグルーヴが彼の本領でありフィッシュマンズについても共通している、というか正確に言うと少なくとも私自身はこの二つの要素からのある入射角を得てこの重なりをみている。二つの車輪と車軸によって起こるグルーヴ自体については本人が言及していた(本人による具体的な喩えなどについては書けない。お下劣で・笑)ので彼の作り出すものについてこの視点はそれほどずれてもないだろう。フィッシュマンズについては言うまでもなく言葉=歌詞で、もちろん歌詞も楽曲も優れているアーティストなんて他にいくらでもあるがそうではなく、この二つの分離と再統合という手続きから聞き手が得る取り込み/取り込まれ感が似て蝶。と感じる。あー、すっきりまとめられないな、書いててイライラしてきた(笑)。ただ、あれだけ語ったり論じたりするのが好きなように思える双方のファンや関係者が言及するのを菊地さん本人と三田格以外*1で私は見ていないのは気になる。
 あとあれだ、両方ともにフロアで踊る派と家で聴く派がけっこう分かれていたような。
 と、ここまで書いてマックを持ち主に返す時間が来ました、また途中か! 私。とりあえず今日の夕方に帰国いたします。今日は上海にて半日の自由時間を得ましたが緑波楼での昼食後二回ほどおなかを痛くしました。歩けなくなって入ったカフェで二時間飲み続けた龍井新茶のせいなのか体調のせいなのか目眩がまだ取れません。そこに文責をなすりつけよう(ごめんなさい)。おやすみなさい。

*1:あー、嘘いった。私、このリミックス誌のテキスト読んで無いんだった。本人が言ってたことと日記に書いてたことだけだな。実際見てるのは。