ご心配を

 何名からか心配メールと一名からは電話などもらいました。すいません、ちょっと吐き気がとれないのと頭痛がする以外は問題ないです、多分風呂読書中に寝こけて気付いたら水になってて少し湧かしてから出たのですがそのへんのプロセスが悪影響だったのかと、血が回ってない。そして倒れたときは失神していたらしいです(!)。
 お風呂で読んでいた本が何となく借りて来ていた鈴木國文の『神経症概念は今』。普通にわかりやすい書き口なのだけど新しいものがない印象。症例を挙げて解説しているのが普段専門的な本を読まない身としては興味深く読めるのだけれど、やはり精神分析を一般読者に紹介するときに臨床で使われる言葉がどうしても一般的な文脈の中で解されてしまうことは誤解しか生まなそうだな、と改めて思う。そういった言葉達は転移空間の中で発されるときに非常にたくさんの(時には一般的なその言葉と全く違う)意味を背負い込んで響くものなのだが、それを分析経験を持たない人々に伝えるのはどれ程に注解をつけようと困難だ。分析家とクライアントの間で交わされる何百という時間とシニフィアンの連鎖がその一語に乗っている。
 もちろん、理論とは別の話であり、あくまで臨床について外部に伝えることの難しさの話である。精神分析理論やそれを導入した思考方法について伝達が難しいとは思わない。もっと前のレベルの話。しかしこの臨床で行なわれていることの伝え辛さが世間的なイメージのうさん臭さに直結してるだろう、三島由紀夫の『音楽』とか(笑)。

 さてそんなことを書いている場合ではなく、下に書いていた「続きを書きます」といってる問題については次の水曜日までペンディング。というか長い文章を組み立てる時間は仕事に裂かなければもうまずいのです、ダメダコリャ。