ご飯食べて出社

pesce2007-07-14

どうするべきかねぇ、と思うことがたくさん。台風は出社しない言い訳にならないのでとりあえずあとで行こう。仕事に対してデフォルトでは比較的デジタルに対応できていた時期があったのだけれどここしばらくは思っている以上の負荷があるらしく、0-1な切り替えがきかない。テキストを書くにしても「降りてくる」系の書き方をしないでもいい、というか基本はパーツを集めてきて設計図を引いて柱を立てて組み立ててから削ったり足したりして、という手法を仕事では選ぶので書ける環境(パソコンや紙とペンに座る場所)があればどこでもでき、「書きましょうスイッチ」で書けるほう。また元々は行動の決定において、ままではスムーズに行かないときは、外側から考えてプライオリティを決めともかくそれに沿って動きながら中身を詰めていく、という形で社会的な責任は埋めてきていたわけで。おかげでこの文章の書き出しのような状況になることはあまりなかった、思ったとしても言語化するまでには処理してあって、念のため形として言ってみるというか。本当にそう、ということは実はなかったように思う。
しかし凡人に生まれて、それなりに善良で良い教育を受けた両親に育てられ、偶然にいわゆる才能ある人々をたくさん見る事のできる環境へとやってきただけなのであって。凡人なりの無茶な経験で鍛えられた部分を才能ある人々に面白がってもらえることもあり、なんとか、お付き合いをもらいつつ飯を食っています。そんな日々。そろそろこういうこともあるのか。でもまたスイッチを押してなんとか解決してから「まいったねぃ」とか嘯いておくことになるのか。ま、すべては校了後。
目覚めて全身が痛く、うめいて転がりながら「物語」というものが必要である種類の人々へと思いを馳せる、パリ祭と宵々山の土曜朝@東京のベッドの中の私。つまりは凡人である自分自身こそ、それを必要としながら自他共に症例として眺めているような視点を外すことができない、これはそういった訓練を多少なりともつんでしまったがゆえか。物語を紡ぎ抱えそれを自分ひとりで維持できるひとは少なく、共有を求めて人は語る、語る。それを物語として成立させ補完することが私の役割と認識しながら会話に参加することが多い。なのでいわゆる転移を受けやすい。一連のエピソードとして、まとめることでようやくそれら経験が経験として学習される。時に自己肯定のための道具、武器として。ただそうやってでも守られなければ散逸してしまう自己に、無意識的に不安を覚えて語る相手を探して回る人間を引き受ける、この私の行為もひとつ支配欲求の表れでもある。物語の操作と、理解して見せるという対応。「人がいい」とか「人間が好きなんだね」という評価をうけがちではあるけれど、それらは自分の病理であると言うことくらいは心に留めておかないと、行為の裏側にべったりと張り付く欲望とのバランスを崩す。正当化する。
私と共に過ごすのは、そのうち彼にとって苦痛になるのではないかな。という思いからご遠慮いただく人生の伴侶へのお誘いもあり。そうなったときに異動願いを出せば済む話、という感覚はやはりないだろうしな。また意外な人物がロマンチスト、というかなんだかんだいいながら「俺と一生添い遂げてくれ」という言葉を出してきたのは興味深いことだった、これはある臨床例。もちろん恋人ではなかったし病状が進行してからの発言だったのだがこの人でもこういう言葉を抱えていたのかと思った。あ、これは先に言った「お誘い」とはまた別件。しかしこの患者の方が、どちらかというと介護しつつ実際添い遂げたい相手であるというのは、この程度の分析やら緩い臨床視点が健常者に対して苦痛になっていくのと逆に、予防治療的に働くのではないかなと思うので。結局は保護=支配欲求、と片付けることもできる。美しく織り込んだ物語の衣服で包んでも。