文月葉月

pesce2007-08-01

前日投票をして翌朝から苗場に行って夜には帰ってきた。なんだか、季節を巡る螺旋の慣れた階段を流れるよう時ばかり進む。後ろ向きに時間に飛ばされ行く、Angelus novsその見開かれた瞳。あの美しかった建物の、森林の、湖水の廃墟は瓦礫一つ触れること建てなおすこともできず時間が進化がショウが進んでいく。花橘、常の世の力強い緑の葉と微かな袖の香。陽が照れど雪が凌げど葉を茂らせよう、そう長い時間ではないひとの一生涯くらい。
速度だけでは見えてこない、ゆるり蔓を伸ばすしなやかな植物。その曲線と吹く芽の爆発力。昨日の枯れ枝が花芽を吹くような生命力のしぶとさを信じる。時間軸も座標軸も乗り越えていまそこに、やってくるその気配。区分けのためではない言葉、存在そのもの。八月の太陽に間に合わないなら、いつでもこの手のひらで作り出そう。全ての場所で時間は動いていくあたりまえのこと、事実そのものなんて陳腐な事に傷を受ける必要はない。記憶を外傷化する必要すらない。いずれうつり往く外からの熱になど、一喜一憂をする娯楽は自分に合わない。熱はなかにある、その限りで私の季節は私が動かし、時間の風に飛ばされながらも墓碑を打つのではなく花びらを撒く。
今年はバッタが多かった苗場。ホテルのバーでビールを二杯、外はちょうど豪雨。後ろをバスク語が通り過ぎる。なんとなくそれは、旅だった。