おしおき?

 そういえば、最近図書館から予約本の取り置きできましたのお知らせメールが届かないことに気付いた。他区図書館からの越境貸し出しを二冊程延滞しているからだろうか。いやそんなこと考えたり書いたりしてる間に読んで返しなさいよ、と即突っ込まれますが、やっぱねこの仕組みよくないよ、延長できないし一度返却するとまた再び借りるのに最初リクエストした時くらい時間がかかるのかなぁ(二週間とか)、とか思うとちょっとくらい延滞しても読んで返そうかな、と図書館から足が遠のく。いや倫理として期限過ぎてる公共物、返しなさいよという声も自分の中にありますよ、ちゃんと。
 しかし図書館の本というのは買い直したりすることはあるんだろうか。ずいぶん前に、『狂気の歴史』借りたらもう背が取れかかっているような代物でしかもあんな分厚いもん、あぶなっかしくて開くのが億劫になって(ということを言い訳に)途中挫折で返却した。しかも、中身が書き込みだらけで、読んでいて内容も相まってこの書き込みや線を引いた人の事に思いを馳せてしまい精神的に具合が悪くなるというか。返却時に指摘するべきだったかな。
 そういえばこの、図書館の本に書き込みする人々、というのはけっこういるようなんだけどなんのつもりなんだろうか。返却する本だし、自分のための覚え書きじゃないだろうから、次に借りる人々の事を意識しているように思えるんだけど、それがよくわからない。にちゃんねる的な匿名自己主張? グロデッグの『エスの本』にてエスの働きによる疾患とかの話題の流れで「(ガンや事故さえもエスの働きの下にあり)結局は、死にたいものだけが死ぬのです。」というところに、囲み線で厳重なマーキングがなされていたりしてぐったりしたことがあった。
 この本自体は(訳があまり好きでないことを外せば)精神療法の歴史における重要な通過点だっただろうエスの誕生が、その発見者自身による女友達への手紙として(フロイドとの書簡だったと言う説もある)平易で気の利いた文章で語りおろされている、面白い位置にある本だし、けっこう好きだと思う。しかし、前述の箇所だけでなくこの本一冊丸ごとに渡ってある種の負の意志と精神状態を連想させる集中線を書き込んでいった読者(もちろんその意志は意図して誤読を行なっている)が存在を発光させている事によって私は確実にこの本への親近感をなくしてしまった。いや、そんなんネット上の書評とかで幾らでも見れるんだけど。しかしネットより紙のほうがその情報量の多さにさらに辟易できます。鉛筆書きで妙に線の強弱がわかったりして。
とりあえず、うだうだ言うより前に本返しなさい。はい、そうします。