くてめん

 お題はCutemen*1の92年発売デビューシングル。持ってるはずなんだけどどこに埋もれているのやら。と、いうか以前に84-94年を自分の80'sと区切った書き方をしたけど実際は92-94年がマジック・イヤーで浮き上がってるだけなのだ、多分。いわゆる黒い血の入ったTechno、ブラックマシーンミュージックのテクノが本格的に日本に入ってきた時、たまたまその現場に居合わせてしまって突如としてダンスカルチャーの奔流、アンダーグラウンドが地上にせりあがってくるメルティングポットに放り込まれ、色々なことが本当に変わるのかも知れないと信じそうになった危うい時期だったと思う。10代の終わる年に、京浜兄弟社系の少し年上の友人(10歳上。ビックリハウサーだった)が教えてくれなかったら、クラブカルチャーってのは日本ではあの頃始まったものだと思い込んだままだったと思う。
 それ以前のそういうカルチャーシーンで私が知ってるものっていうのは、確かに刺激的なようではあったけどまあ、私にはまだ早すぎた。かっこつけ半分でシネ・ヴィヴァン通ったり(ついでにWAVEに寄り知らない洋盤をめくって結局、安くなってたルーリード買った15の夜。)セゾン美術館には祖父がチケットをくれたのでわかりもしないまま、とにかく行っていた(全く記憶のないJ.ボイス展の半券があるんだけど、どうなんだろう。上京してたけど10歳だし)のだけど、私がそのあたりのことを知り始めたのは正直、ペヨトルも活動停止して翌年にはセゾン美術館が閉館する98年頃のことだったりする。『WAVE』の古本は大学はいったころからなんとなく買い揃えていたけど繋がってなかったのですよ、アホなので*2
 で、何がいいたかったんだっけ(笑)、そうだ、なんか私に取ってはそれらはかっこよさげなものだったけど自分達のものじゃなかったのですね。だからつま先立ちの違和感があった、多分年齢だけの問題でもなく。
で、仕事の締め切りが迫ったので(分単位で)半端なところで終了。続き書けるかな。

*1:http://cmjk.jp/top.html 復活してたのか。しかしあまりにも当時の匂いが立ち篭めているデザインに胸が甘酸っぱく(酸強め)なりました。

*2:本当に、なんでレコード屋と同じロゴなんだろう。パクり? とか思っていた19の夜。だって、季刊iichicoとかもあってさ、なんで焼酎と同じ名前なんだろう。パクリ? とか(略)。