Cricot

pesce2004-10-25

 そういえば、書こうとしながら書く機会を逃し続けて5ヶ月ぐらいすぎてる。『夜想』で今回マネキンが紹介されている、タデウシ・カントルの劇団Cricot2とその資料館となったCricotekaに6月の末から4日ほど滞在した。正確に言うと宿泊先は近くの旧クラクフ大学のホテルだが、その期間は下手すると職員よりも長くクリコテカと関連施設にいたわけだからそう言ってもいいように思う。と、いうか今実際にその時書こうとした事を書くわけでは無く(物理的に無理。締め切りと、不眠で・笑)、この時のマネキンの写真をとったルミャックと一昨日に会って、彼がカントルの作品を撮れた事の喜びをあまりに熱心に話すので(書く事を)忘れないように、と就寝前(ってもう朝10:00ですね)に覚え書きをしているだけだ。
 現地にあった大量の資料よりも、ギャラリーに展示されていた素晴らしい写真やマネキン達よりも、なにより職員達がカントルのもとにいた劇団員たちであることがあの場所を特別な場所にしている。カントルの死んだ日の事を話す、収蔵庫の保守をしている職員。ギャラリーの映像資料の検索を手伝ってくれたり、書類や画像の分類整理を黙々とする職員。ついさっきに彼らが舞台で足を踏みならし知らない言葉で叫び倒している姿をビデオで観たあとに、穏やかで幾分歳をとった彼らとやりとりをすることの不思議。
 単純に映像による記録作品の一次的な役割を強く感じながらもその先のレイヤー状に生まれ続ける意味を感じ続けるという。
 偶然にネットで見つけたので、映像資料を探してくれた優しくて物静かだったおじさん職員の、劇団員時代の写真を貼っておく。彼は猫をつかまえるのがうまかった。