スロウグラス

pesce2005-01-17

 年があけてから、何度か書こうと思いつつも手持ちの仕事のエマージェンシーさにかまけて、途中まで書いては結局消したり間違って再起動して閉じてしまったりしていたため、週に一度の更新もされなくなっております。生きています、大丈夫です。
 さて、先週末にちょっとした新年会があり、本当はその前に一度調べたりしてからまとめてみたかった話でid:solarさんのところにもちょっとコメントした現在進行中の東京再開発方面の話題がある。とはいいつつ、結局いまもまだ手持ちのものが終わっていかない(のと、ここを担当者さまがみている・笑)ので、もう少しあとになるのだけれど、昨年からしばしばお世話になっている渋谷駅前の高層ホテルから見る光景、昨日の昼に撮った画像だけでも掲載しておきたい。ここは森タワーほどの超高層でもなく、西新宿の高層建築群のひとつからでもない、なぜかついずっと眺めてしまうような惹きがあるのだ。個人的に、ここ10年ほど暮らしてきた範囲が一望できるところや、青山−渋谷−代官山などの山、谷、山のお屋敷街と商業地域、庶民の暮らしが残る低い土地、それがひとめで目に飛び込んでくることだろうか。
 そんなわけでこの件についてはとりあえずまた、というオオカミ少年なのですけど、タイトルと写真にあるスロウグラスはもちろん写真の側から見れば畠山直哉さんのシリーズの真似っこですが、元ネタとして確かボブ・ショウのSF小説にでてくる特殊なガラスの名前だったと思う(スローグラス。スローガラス、とも?)。
このガラスの中では光が極端にゆっくり進み、数日後かも何十年後かもしれない光景が、いつかその反対側の面から届くのだ。内容自体は知らないけれど、とても惹かれる話ではあった。直哉さんの作品シリーズは、水滴のびっしりついたガラスの向こう側の光景がぼんやりとした全体を予感させるような第一印象、しかしその水滴ひと粒に目を転じれば、そのひとつひとつには美しくピントのあった「向こう側の光景」が映り込んでいる(ただし、粒に合わせ歪んでいる)。そこで観客の脳内に少し遅れてその光景の像が結ばれる。
 この窓から街を見る私の頭の中にも、記憶のひと粒ずつの歪んだ(輝かしく懐かしい!)光景と、その向こうの光学的に持ち込まれる現在の光景からなにか像が結ばれていくように感じる、そこに常々惹かれるようにも思う。