マジックハンド

pesce2005-01-25

 人生にはしばしば、思いもかけない事があります。事実は小説より奇なりということもしばしばですが、事実がマンガのような事態と言うのも時折あります。マンガの紋切り型。それでいて現実にはそんなに見ない。まあ、食パンくわえて曲り角で転校生と衝突、みたいなのからバナナの皮で転倒、そういった類いですがそれぞれ近い事は過去にやらかしているわたくしですからなんとも、起こりうる事は全て起こるのと、オカキョンを引くまでもないと言うか。そんな大袈裟な事ではないのですが、今日は名古屋からの戻りにそのまま飯田橋へやってきました。実は現在、日仏学院に短期集中でかなりのペースで通っているのと、さすがに日曜の夜から京都→大阪→名古屋→東京で火曜朝到着、は泣きそうだったのでそのまま飯田橋アグネスホテルにチェックインしたわけなのですが、久々に新幹線品川駅ではなく東京駅を利用してお茶の水乗り換え、総武線飯田橋駅というルートに。
 そして飯田橋駅で悲劇は起こる。
 国内旅行用の無印キャリーバッグの小さな匡体に似合わない重さに各地ホテルで驚かれてきた今回なのですが(教材、郵便物、本を8冊、パソコン、が重過ぎたのか)ここまでは運良くと言うか賢明なチョイスを繰り返し、出発から一度たりともそれら荷物を自分で持ち上げることなく(京都ではホテルの駅まで荷物無料配送サービス使用、池田行きは新大阪のコインロッカーに放り込み、駅ホームからは全てエスカレーター使用)ガラガラ転がしていたわけですが、飯田橋のホーム、降車しようとした瞬間足下に20cm以上の隙間を発見。「ホームと列車の隙間が大きく空いているところがありますので・・・」と耳には聞き慣れた放送。とはいえ流れをとめるわけにはいかない、私は踏み出した左足を軸に、身体を捻り、ほんの一瞬、箱は宙を舞い飯田橋駅のホームに着地、した。全ては美しく過ぎたように思えた刹那、なにやら急に全身に走る不全感、心もとなさ。ああ、これはなに、この悲しさは。東京と言う街はこれほども私を受け入れてはくれませんでしたか? などと思うにどうもその違和感は右足元に集約される事に気付く。キャリーバッグの足下にはふぞろいな林檎たち、否、ふぞろいな両足が。
 靴がねぇ。
 と、振り向くとドア際に立っていたおじさまが戸惑いを見せてこちらを見ている。もしやと足下半径1.5mにサーチアイを走らせますが物はかからず。彼が、そのジェントルな眼差しで指し示した先を追うと・・・線路の上に、マイ・ボッカチーニが! 私たちの眼差しの交錯を断ち切る物理的な障壁、列車のドアは容赦なく閉まり彼は遠く新宿方面へと流されていく。ホームにひとり残された私は、都会の人々の流れを止めぬよう、キャリーバッグの転がしにさり気なく右足を隠しながら5m先の駅係員(台の上でいまでてった電車の指差し確認中)に近付いていって言った。「あの、線路に、靴を落としたんですけど・・・」「ちょっとまって」視線も落とさずに一心に去っていく電車の方を指差す彼に疎外を見て取りながらも彼がその人間を取り戻すだろう瞬間を待ちあらためて声をかけ直す。
 「え、どこ。どのへん?」と、言いながら数メートル先のボックスに例のアレを取りに向う彼。いやあの、すぐそこなので・・・と抑え気味の声で伝える私に最初からわかっていたと言わんばかりの自信に満ちた声で彼は、アレを手に「そこね」と答え振り向く(見えてないしそこから)。
 ちょうど、ホーム反対側に津田沼行きが滑り込み、ああ衆人環視ってこういうことかと心中膝を打つ私に、例のアレでホームからブツを探る駅員。若いサラリーマンがわざわざ近付いて覗き込んだり、する。そのなか、銛に刺した獲物を自慢するかのように高々とブツを拾い上げた彼は、「はいこれねー」と、2mほど先からゆらゆらとボッカチーニを、私に。
「ありがとうございます」と、受け取る私を見守るように、反対側ホームの電車はドアを閉め、マジックハンドを二度ほどカチカチ言わせた彼は、さっそうとそれをボックスにしまいに帰っていった。心無しか、申し訳なさげに黒い靴は右足に納まり、まだ物珍しげにこちらを見遣るひとびとへと苦笑を送りつつ私は、ちょうど開いた駅エレベーターに吸い込まれそっとその場を去るのだった。
 あ、これ反対の出口じゃんか。気付くのは改札を前にしたそのときだったのだけれどもう戻れない青春の後ろ姿を、ひとは皆忘れてしまって欲しいから、そのまま、出て五分の道を十分かけて歩きました。そのままぐったり潰れて試写会もレッスンも行きそびれていまさっきルームサービスの食事が届いて起きたわけです。