気が向いている

pesce2006-12-10

基本的に、いくら忙しくても絶対にできないということは少ない。物理的にありえない、というようなことでも、けっこうなことはできてしまうもの。問題は追い詰められるか気が向くかしないとそれをしない精神の怠け癖だねぇ。気が向くということも、それに気が向いてしまう程度に何か追い詰められているからか。
この日記も、もう一箇所思いっきり名前が出ている仕事のはずだったページも、止まったままで本業の忙しさを言い訳にしていたけど(もう一個は止まったままである)まあ、できなくはない。でも無理してする必要はない。とりあえず昨年はあと数日でパリへむかい年を越した、あの一ヶ月ほどの間が恐ろしく昔の事のように感じる。知人が旅行であけていたアパートを借りて、市場やスーパーで買い物をして料理や洗濯をしながら映画や散歩で過ごした。ごく狭い人間関係(恋人とその兄弟、家族、仕事以外でも会う理由のある現地の友人たち数名)の、中で社交的なこともせずただ鍋を煮て湯気と安いワインのと時折買ってくる花束の蕾の生長に時間を見て過ごした。療養のような期間。
冬の記憶として時折鼻にふっと来る匂いのような。12年も前に今の住まいの近くで過ごした冬に少し似た記憶。働き始めてずっと仕事ばかりだと人に揶揄されるときに少々酔っていれば「あの時に三年間も休んだから、当分お休みはいらないのだ!」などと口にすることもあった。
では、その大いなる休暇というか療養のために身を粉にするのか? というと病的かなと思う。入院撞着みたいなことをすごい発見のように話している同僚が先日したが、周囲は気まずいような苦笑で、まあみなさん共有していることなのだなと少し思った。
旅に出るのは短い間でいい、心が長らくとどまるなら。信頼を置くマッサージ師がともかく長くても効果に違いはそんなにない、40分も施術すればあとは今この場で快楽を少しでも長く欲しいのかどうかという問題だからあなたは必要としないでしょう、と言われる。適切な時間がどれくらいかはわからないけれど、二泊とどまったバルセロナ、一泊しかいなかったリエージュも再び訪れると思うけれどいい旅だったと思う。心が必要としなくなった場所に身体の都合で長くとどまることも生きるうえでままあれど、健康に健康にと思いつめる必要もないので急ぐな、と自分に言い聞かせる。病に淫するのは好まないけれど、病気のように健康を指向するのもどうかと。
スペインの靴を履いている。というだけで少し気持ちが上がる自分は好ましい。とてもジャンクな靴でヒールが革などに巻かれていない丈夫できらきらした靴、ちなみにRAS。マノロの似たようなデザインのものの五分の一の価格である。

はてな市民って三日くらい連続で書くと復活できるんだっけ? 別に何かするつもりではないけど。