その手を離すのだ

 ともかくしかし、昔からしといというか諦めが悪い性格で物事がなかなか終結を見せない。いや、表面的には冷たいくらい切ったり捨てたりする、と見る向きもあるらしいのだけど、そこははっきりしていてひとつは関わりを持ったものに対してのみそれは発揮されるということと、もうひとつは関係性を変えて実は繋いだままだったりする。そういう意味でしぶとい。「閉じてしまうのが嫌だ」というのがエクスキューズとしてあったけれども、その気持ちは保持したままで終らせるべきものを判断し実行に移せないものかとも思う。しがらみは増えるばかりで優先順位がつけられないというのは末期的。自分で行動を選べないだけの甘えをまずは捨てたいわけで。周囲に振り回されていると運が悪いとかなんとかともかく責任転嫁も起き易く、一番会いたい人や、やりたいだろうことに進めない理由を永遠に自分以外のせいにし続けるだろう。それは開かれているということとは違う。
 ある種のメランコリー者は、初めから失われていたものに対しても喪の作業を必要とするそうで、それはその手になかったものをあったこととして「失った」ことにするそう。喪失された(という)ものに自己を投影し続けないと耐えられないと。自分の欲望から目をそらすなと、いくら惨めで不恰好な欲望であっても。と、いまは思う。
 四年ほど続いたある作業の終わりが見えたということで、今年は色々身を軽くしていきたい気持ちになっている。終ったから何かが始まるなどと考えてはいない。貪欲にしかし肥え太らず。

遅ればせながら本年前半についての目標設定でした。