眠る場所

pesce2007-06-03

深夜に預かり物を取りにきて、そのまま床で眠りこけた男子がほうっておいたら朝早くから勝手に朝食を作ってくれていた。ソファベッドを勧めようとしたら、フローリングのひんやりが好き、と呟いた次の呼吸が鼾だったので好きなようにさせておいた。
今の部屋を買うずっと前、初めて自分で部屋を借りた19歳のころには本当によく知らない男の子や女の子を部屋に泊めていたな、と思い出す。もっと狭くて、寝る場所はだいたいシングルベッドの隣の床(自分でブロック状に張ったウォルナットのフローリング)でケットとクッションひとつで眠るか、小柄なら私も小さいので同衾するか。当時の部屋がこの前まで住んでいた場所に近く神宮前、原宿で(二年前までモロッカンカフェ・Qahwaがあったビルと言えばわかる人もいるだろうか。またはプールアニックに斜向かい)遊び場からは便利だったのと、その後引っ越して、二人暮しを経て一人暮らしに戻ったときは青学西門前で、これまたバー青山、Loopなどの遊び場から徒歩だったので、別に下心も何もなく「寝てく?」とか、「疲れたから部屋で飲もうか」と言えた。あと、本やレコードを見たいと言うリクエストやら(猫を見たいと言う男子は下心がある人が多かったので断っていた)色々、ともかく名前も知らないひとが眠っていたり朝ごはんを食べていたり、シャワーを借りていたり。携帯がそんな普及していないころは連絡先も知らず、また突然訪問されたり(そういやメールもなかったしね)、こっちも時間があれば相手をして、性関係もなく、また他の意味も含めた全般的な警戒心も持たず済んでいた。もちろん、そういう風にならないような誘いやら面倒そうな相手から声がかかるときもあるわけでそれは単に普通に流して寄せ付けなかったけれど、週に一度は新顔が部屋に遊びに来ていたんじゃないだろうか。一人暮らしの部屋としては異例だろうなと思う。その後三人暮らし(男子ひとり女子ふたり)をしていたときには当然それぞれの知人友人恋人が出入りして公共スペースとしてのリビングがあったのでそれは自然だったけれど。やはりいま思うと妙かもしれない。男女ふたりで名前も知らず(たまに知ってたけど)音楽の話しながら同じベッドでセックスもせず眠って、時に抱き合う格好やら腕枕もあったけれどそれ以上の侵犯はない、と感じていたし実際そこから友人として長く続く人も多かった。
私は私で、15歳から29歳の終わりまで約15年間、恋人が二週間以上いなかった時代と言うのがなかった(二股で乗り換え、と言う経験もない。ただ、終ると始まるのだった)が、二人暮しをしていたころはさすがにそういった(誰か連れ帰ったりする)ことはなく、それ以降は就職して今のような生活の走りのような形で忙しさにスパートがかかっていったのでなかなか遊び場にゆっくり滞在することもなく連れ帰るような機会は減っていったように思う。
30歳になってからは追われる恋は止めるようになり、自分から始めるにはあまりに時間がとれず後で聞くと「興味がなくなったのだろうと思っていた」などとマンガのようなすれ違いを見せるようになっていく。「俺そういえばお前に振られたんだった、忘れてた」と言われて、あれ、そんなことあったか? ということも。精神分析のセッションや、トランス状態とはまた違うダンスフロアのあの小さな落雷のような通電感覚(その瞬間に目があって笑い合う他人)、ある種類の会話、息を詰めた撮影現場のラストカットのあとの拍手、性交渉以上の関係性(の妄想としても)を感じる瞬間は多くある。なんというかSPA! なんかのネタになりそうなセックス面倒な若者、みたいなことではなく、時間も労力もとってふたりのあいだだけで完結する性交渉よりは、広がりを持った他のことに興味があるときだってあっていいということ。
好きな人とは、一瞬抱き会ってからゆっくりとただ眠りたい。お互いのする事のために休息を。こういう気分を共有できる人じゃないと今は恋人になれないというのが、また狭めてるなーと思うんだが。欲してはいるが必要ではない、か。