un jour ou deux?

pesce2007-06-06

いまさらとはいえ、
生き辛い世ではあるが得れば失うこともあるのは、駄々をこねても仕方のないことではないか。なにを得て(経て)なにを失うのかにもよるが、大概はこだわり続けても磨り減るだけで。何が欲しいのかを、自身で見つめておくことだ、何を失いたくないのかも。それさえあれば、無駄な自傷行為は減るだろう(ねえ、そんな簡単なことで怒ったり、うんざりしていたら独りじゃとても、ふたりじゃもっと生きていけないよ)。快楽としての感傷とは別に。
どうしても失いたくないものだろうと失う事もある、どれほど努力しても。でもそれすら自分だけが特権的に享ける罰でもないので、その替りを求めることはあまり意味がないとも思う。その都度に考えよう、今は何を失いたくないのか? 受け入れるのも回避するのも自由だけれど、自分は目を閉じないだろう。(それでも見えぬのは自分の愚鈍さだけれども)

大輪の薔薇を見たければ、小さな蕾は摘むことだ。余計な葉は切ることだ。自由に野薔薇とするならば、それでも手許におく傲慢を心に留めよう。水をやりすぎず乾かぬよう、手を触れなくとも視線を、注意を注ぐこと。見ることをやめない、ともに生きるのであれば。

枯れた花は土に還す、墓碑の代わりに毎年咲き零れる花弁の重なり、その根元へ。彼は来て、そして去る。歌のように。それでも愛するものであるのなら。