文月

pesce2007-07-03

とりあえず、トマト会をやった名残で部屋中にトマトがある。リコピン過剰。紫陽花のブーケをお土産にくれたお客がいて、ハワイウォーターの上にそれが君臨している。色あせた紫のレースのような色の花。祖母宅の応接間に、こういう色の背もたれのレースがあったなと思う。茶室の隣に、大正時代の洋間。苔むした庭石と椿に南天にやつでに金木犀。山椒の木もあった。お勝手口に私が祭で取ってきたひよこが育って鶏になったのがいた。万博跡地から程近い、河のある街。低くなだらかな山は、万葉集にその名が出てくると母から聞いたことがあった。当分足を運ぶことはない、もしかしたらもうない、あの街の中のひとつの建物の中のひとつの部屋のひとつの家具の一部。
ひとりで、白い部屋で赤いベルトの時計のゼンマイを巻く。鳴ることはないメロディを時折頭で再生させる。白いゆりの大きな花がむせ返る香りを放ち、足のはやい向日葵やらの茎の弱い花たちが既に萎れ行くのを明日の朝にしよう、と見遣る。悲しいのかどうかはわからない、だって失ってすらいない喪失を悲しむ権利はない。自分に悲しむ権利のない悲劇。明日はハウスキーパーが来るから、綺麗にこの部屋を片付けてくれるだろう。使うならトマトを土産に持たせよう。だけど悲しいかな取材も途切れなくあるので、綺麗になった部屋を見届けることはなく外出する、とてつもなく間に合わない仕事があるのだけど、なんとかせねば。
聴きたい音楽がなくなったような気がする、数年聴いていなかったのにまた。自宅ではテレビもラジオもつけず音楽を流さず、ゲームもせずゆっくりとした動きや動かないものに囲まれて暮らしている、一人で暮らしている時は常にそう、少なくともここ7年ほど。最近特に媒体観察を自分に宿題としていたけど、気力体力時の運がそれを許さないここしばらく。古い本を読み返すばかり、動かない文字を。既にそれは過去にとらわれたものとしての行為だろうか? 読むたびに新しい何か、とかそういうんじゃなくね。
ショートフィルムフェスティバルのレセプションがあったね。私はなぜか回転レストランで夜景を撮影していた。東京を見回していた。何を探すでもなく。支配せず守ることなど可能なのかな? 文月、短冊に何か書き綴ることはあるかな。