星月夜

pesce2007-08-22

週末で、大阪〜京都。帰京して月曜は星をテーマとしたステイプランを考えるために招待泊という名の軟禁を一泊。つっこみどころ満載のホテル泊は辛い、我が家がいかに環境がいいか思い知らされる。
ともかく、ひたすら夜空について考えているここしばらく。そのうえ、京都からの新幹線車内誌の特集は「日本の星月夜」ということで、奈良県の田舎に残るお月見の風習や三鷹国立天文台のこと、ちょうどその日が旧暦七夕であったことなど、ネタ盛りだくさんこの上ない。
京都では本家の本山である西本願寺脇に泊まっていたので、詣でておく。夜には京都御所前から西の空に隠れようとする三日月を眺め、落ち着いたところで吉田屋料理店へ。一人でカウンターだったので皿数は取れず、あまり期待していなかった「ピータンとゴーヤの玉子チャンプルー」に、ひろこさんの火加減ワザを思い知らされ「美味しい!」とつい声を上げる。いわゆる沖縄風にあらずの玉子の具合がフレンチの店だったことを思い出す。ハウスワインも蒸し暑い京都の夜によく冷えた白ワインが美味しすぎてカラフェとグラスをそれぞれ、仕上げにマルティニークのラムをいただいてほろ酔いで本願寺裏まで帰る。暑さと薄暗さしか覚えていない程度には酔っていたらしい。
翌朝、父親が車で迎えに来る。二日酔い気味で支度が遅れていると内線が来て「お父様がお部屋に向かうとおっしゃっておられますが……」まあ、自分は遅刻もするけれど待つのは苦手という性格上仕方ないけど、落ち着かない感じで部屋に入り「まあよぅ散らかしたなぁ」と言いつついれたお茶を飲みつつ、部屋に届いていた新聞を読もうとして「朝日も日経も読んできたわ……」じゃあ何を用意せよと言うのか。
ともかく、今回の上洛で一日どこか行こうというのでともかく了承しておいたのだが、案の定、「一日どこかいく」が主目的過ぎて何も目処も立てずに15年前の京都ガイドブックを手にしている(この人は一応関西人です)。私の主目的は桂にいく、だったのでただ理由を説明しても通じないだろうので適当に、幼少時代に縁の深かった嵐山(特に吉兆。児童のころは夏の貸切でのお茶会のときだけ、終った後の庭園懐石の夕べに参加させてもらった)へ向かうよう促す。学会で京都大学へ向かうときしか来ない、などといい無駄に川端通りへと向かうので、四条から三条を越した適当なところで指示して左回りにぐるりと嵐山へ。
嵐山は吉兆ほか嵐亭という店の、一見さんは当時使えなかった(今も?)料亭側の話を父親が妙に何度もする、まあ吉兆と並び祖母の思い出に関わるからだろうと思いつつ話をさせておく。渡月橋を渡り裏道を松尾・桂へ。しかし父親が「これは京阪電車の踏み切りか。珍しいところを通っているなぁ、よお覚えておき」「鹿苑寺を所有している寺の人を知っているがその人のところへいくか?(これは別段会うとかそういうことを意味しない。行くだけである)」など、かなりの頻度で理解に時間がかかる言葉を発するので、次第にこの人を思い出す。普段の生活のコミュニケーションと別回路で接さなければ行けない最もな人だったそういえば。話していくうちに先日試写で見た「タロットカード殺人事件 Scoop」のウディアレン扮するシドニーに行動喋りかわし方全て準ずる、と気付く。似ている、は言い過ぎだが、まああの調子のモノローグが基調。全ての言葉に反応されることは本人も求めていない。
松尾大社の看板が出るが酒の神様であるし拝観料も取る立派過ぎる場所なのでなんとなくパス。いかないでいいのか、と散々気にしていたのは父親のほうだった。
 その脇の、現在は摂社である月読神社へと向かう。まあ、よお手入れもしてないままもっとるなぁ、などと大阪人らしくみずぼらしさへの反応。古刹とかいうことは効かない。看板の説明などを見て、そういえばここは山城の国であったこと、天照大神と対で生まれた月読尊は、しかし同時に生まれたスサノオの方が有名で一般的には知名度が低い、など知る。安産子授けは月の神である所からの民間信仰だろうけれど、他に御舟石などあり航海の守り(月は潮を支配する)であることなどなかなか面白い。本殿が建ったのこそ江戸時代だけれども神社は487年、現在の地に来たのも856年と山城国最古の明神大社。秦氏によって壱岐からもたらされたことも興味深い。時代的にうちの祖先の血統での名前が生まれる前(他に武蔵国などに同名のものはあったけれどうちの姓は11世紀が始まるのを待たなければならない)のことだけれど音韻だけ見れば繋がりを感じてしまう。せをはやみ、この血統は源平など分かれても結局は渡来系氏族と関わりは否めないのだろうな。本家で一度、ちゃんと一族の家系図を見せてもらおう。歴史には現れて消えていったけれども、まだここに存在しているということは何か宿題のように長年気になっていることだったりする。口承伝記(笑)でしか知らないことが多いので。

お守りを買うが「望」という字の象形文字がデザインされている。人が遥か遠い月を拝して、願い事をする姿から来ているとのこと。とても落ち着くよい場所であるとは思う。まあ子授け祈願の大量の石塚があるのだけ、少し強すぎる念と言うか何か感じるところはあれど。鈴虫寺はすぐ近くだが並ぶようなこみかたをしているようだったのでパス。桂離宮を回って、桂川沿いに父の住む街まで走り、祖母がよく来たという場所を幾つかまわり京都へ戻る。少し遅れたお盆と思えばまあいいのか、と父の動きを納得する。基本的にこの人の喋ることからストレートに意思は伝わらない。寡黙ではなく、ぼそぼそよく喋っているのだけれど。

イノダでアラビアの真珠とハンバーグサンドをいただき、手紙を書いて投函してから新幹線へ。落雷で止まっているが迷わず目の前の一台に乗ると動き出す。50分遅れの便だったらしいけれど私は別についてその足だったので満席のはずの車内で逆にあいてしまったグリーン席を見つけ、前述の車内誌を読みながら帰京。その夜は旧七夕、三日月。原宿駅前は雨上がり、神宮からの強い森の匂いを嗅ぎつつ代々木公園の間の道を抜けて帰宅する。静かな部屋、ここもある意味でクワイエットルーム。