六本木クロッシング

pesce2007-10-12

クロッシングのクロは黒川キショウの96! すみませんごめんなさい佐藤さん、前の選挙のとき? にはサッカーユニフォームの背番号96でフィールドに立った(かどうか一葉の写真で見ただけですけど)新美オープニング展のポートレイトは脇差帯刀で驚かせてくれたことも記憶に新しいかの建築家。この日、少し余裕があったので地下鉄で森美術館へと向かう車内での出来事。銀座から乗ってきた賑々しいおばさま一群が冬物コートや親族や秋の行楽について話題を回している時、赤坂見附にさしかかり降りる準備をしながら中の一名が、高らかにこう叫んだ。
「そういえば! 今日あの黒川キシンが亡くなったんですって!」
「誰だったかしら?」
「あらあのほら、都知事に立候補していた建築家の」
「ああ若尾文子の旦那さまね〜」
「そうそう〜」
と言いながら降りていく彼女らを見送りながら、私以外にも数人の振り返るオジサマ方。私はつい小さな声で「きしょう……」と呟いていましたが何名の方と思いを同じくできたでしょう。いや、ご冥福を祈りました。その前の週末には余裕さえあれば門司港へ飛ぼうかと思っていた(門司港レトロハイマート)しね。
と長い前置きで本当にすみません佐藤さん。さて13日から始まっております六本木クロッシングは規模こそ縮小といわれていましたけれど内容は濃度が高い空間でした。こういったコンテンポラリー・アートは私にとってまずその作家が同時代に生きる人間たちであることに意味が強くありますが、それらが一望できるこの展覧会は表現の方法がテクノロジー的にも世代感的にも触角が全開になる感じがしますね。そういう意味で先月見てきたアルスエレクトロニカみたいだなー、とか素直に思いました。
その線だと来週くらいに上海でeARTSなんてありますね、MITとArsって。ちょっと行きたい。でもまずは東京で触れる事のできるこれらを見ないのはもったいない。オープニングパーティーはあまりにも人が多かったのと内覧の終了30分前に到着したので駆け足でしたが、よくまあこれほど別のベクトル向いた強度ある作品を集めてしかも配置したなぁ、とずかずか通り過ぎながら思った。
彫刻、銅版画、ドローイング、ペイント、写真などと手法で言えば伝統的なそれらが多分想定外の方向を向いて、そこにゲームやらの要素があり、というカオス。配置が絶妙で、角を曲がるたびに転校生とぶつかる……いや比喩ですよ、そんな感じ。宇川さんの『カトリーナ』はちょっと体験してみたかった。が、あの見世物小屋としか言いようのない展示ボックス内に入るチャンスと勇気はあるだろうか。内覧会当日は体験できる時間を過ぎていたので近く時間を作って平日の昼間とか観客の少なそうな時間に行ってみたい。
いや自意識の問題より単純に全体の展示、本当にひとつひとつが足止めされるような濃度です。大理石の耳彫刻と同じ部屋のミクロ銅版画、連写ポジのミルフィーユみたいな作品(”時間”の美しい展示だと思った)、日本のおしゃれ映像といえばARSでもでかでかと出ていましたが辻川さま(っつーかね、もうしょうがないです。好きですよそりゃ)。メディア芸術祭関連展示はなんかどうかと思うことが多いけど。ということでいってソンなどありません、みなさま行きましょう。写真は榎忠さん。先端恐怖症的にはちょい刺激が強かったですが。
で、帰りに新美術館の前を通り*1帰社、看護協会の前を通り帰宅。

*1:カシワ手を打っておきました(嘘)。