RezですRezですResonance!

pesce2007-11-25

今日はUWのライブがあった、と友人との話で。そうかー、でも幕張かぁ、ないな。というのはなんだろう、オールドファン心理なんだろうか、でもいまその手のスタジアムイベントの客層はやはり見るに耐えない。なに、昔の彼女(彼)がしょうもない男(女)と付き合ってる姿を見せつけられるのがなんかむかつくみたいな……ともちょっと違うが、あの子の幸せを祈って苦しくも別れたというのに……ってこの例え苦しいな、でもそういう感じもあるか。ユースカルチャーの生まれたといわれる大戦直後から、綿々と続く生まれては飲み込まれていく一瞬の夢というか、摘み取られる前の一瞬のBloomingな香しい輝きはどのジェネレーションにもあった訳で。知っていても自分のその瞬間はやっぱり、これで何かが変わると思うわけで、しかもタチ悪くいまだその飛沫の光を目の端にするとクラッと夢に引き戻されるから、色々な言い訳をつけてこんな仕事についている。
UWと私(笑)は、93年秋頃のJunior BoysOwn Night@FFD*1でのダレンエマーソンが最初の接触だったけれど、なかなかご本尊が来ないのでところどころのイベントで誰かしらが回すのに遭遇する、というのがしばらく続いた。93年大晦日のFlogmanのレーベル立ち上げパーティ@FFD*2でシャボン玉とともに(誰が回したんだっけな)、とか94年5月3日だったかON-AIR EASTでのOrbital/SYSTEM 7でHarcyon(Opus3なつかし!)なんかのあとRezがはいって、真上のミラーボールに歓声を上げたら近くにいた顔見知りの16歳が感極まって泣きながら抱きついてきた(笑)。そして結局、新宿リキッドのオープンでの来日までおあずけだったように思う。この頃には自分はクラブからは離れ始めていて、新宿リキッドとのご縁はこの後、大学を出て働き始めてからなぜかカメラ担いで出入りし始めるようになる頃までJeff Millsの初来日とかそういう僅かなものしかなくなったのだけど。あのハコ自体は別に嫌いじゃなく、なんだか屋内なのに野外のような、適度にどこにでも居場所があるところが好きだったように思う。94年はManiac Loveが年初に開いて、テクノ箱なイメージもあったけれど個人的には近所に移り住んだせいで、空いている日を選んでバー代わりに自宅に戻る前に一杯飲んでひらひら踊って、というのとAfter Hoursに来ることばかりだった。光山君もこの頃、Afterで回していたっけ。
UWに話を戻すと、その年のRainbow2000は私は気持ちが萎えていて、結局行かず後から話を聞いて悔しすぎて死ぬかと思った。Rezを20分だぁ? 一昨年のグラストンベリーであいつら18時間ぶっ続けでやったんだぞ! 行ってないけど(涙)! とか。ともかく当時彼らは時代の輝きの切っ先であり共通言語だった。
しかし私個人で言えば、そのまったく先になって働き始めてしばらく過ぎた2001年の秋にTOMATOという形で再び彼らに触れる事になる。個人的に色々なことがあり仕事上も含め「文章」が書けなくなっていたころ、ワークショップでJohnが来るというので参加を決めた。いわゆる文章を仕事にしている人間は参加者の中で私一人だったので、なかなか苦しんだ。個人的にJohnとDirkにした質問でDirkが「自分も親友を亡くしたことがある、ビルの屋上で話をしていて自分なりに真剣に答えていた。けれど彼は笑顔のままあとずさって行きそのまま視界から消えた。コミュニケーションの可能性や作品の影響と責任に関する戦いは、それこそが”作る”ということで自分もずっとそれを背負い続けている、あなたが作り続けるなら、それに意識を置いていることは決して悪いことではない。苦しくても、自分たちもそれは同じなんだ」と話した。Johnは作りかけの各都市の光の色だけで構成した作品を見せてくれた。言葉として理解してもすぐに飲み込めるものではなかったけれど数ヵ月後、行き詰まりながら作業をしている明け方にラジオからRezが鳴り響き、同じ時代にこの才能たちがいること、そして彼らと出会えている事のラッキーさを思うと少し当時の行き詰まりを落ち着いて見ることができた。

*1:このシリーズはしばらく久保憲司さんがやってた。マカロニウエスタン名義だったように思う。なんか女性にだけ限定で配られるスムージーみたいなドリンクに、色々な噂が立っていたが本人曰くスポンサー提供のビタミンドリンクだよ、とのことで

*2:卓球目当ての客があまりに多く入りきれなかったためカウントダウンが20分遅れで行われた。そのうえ、え〜と色々あったので田中フミヤが「えー、みなさん卓球は来ません!」とマイクで叫ぶに至る。これで本当に帰った客も結構いて朝五時ごろこっそり卓球が帰ってきて回していたと思った