夜顔

pesce2008-01-11

試写を6回もスルーして一般公開がいつの間にか始まっていたBelle Toujoursを会社のワンブロック隣で観る。声に出して読みたいフランス語、いやBelle de jourと、並んだらなんとなく口に出したくなるじゃないですか。試写状が届いた秋の日からずっとにやつきながら呟いていたというのに、試写会場も徒歩圏内なのに。美しすぎるポスター写真ときれいにまとまっているコピーが何か違和感、というか先送りにさせていたのかと。でも映画はその不安をすぐに払拭する、70minの尺なのに冒頭から贅沢な時間の使い方、普通に物語を組んだら150minは行きそうな間合い。パリといえばメトロと徒歩、友人のアパルトマンばかりで生活する私からはちょっとファンタジーなほど美しく豪奢ですらあるパリの街、ホテル、そしてユッソンとセヴリーヌの身なり。
リヴィエラ監督の孫? だったかバーテンダー役のリッカルドはサッカー選手にもいそうな(というか私の好きなアンゴラポルトガル系GKもリッカルドというのが響いているのか)好青年。しかしこの店に本当にセヴリーヌは来たのだろうか。良い身なりをしたずんぐりの老紳士、ユッソンはここでも変わった客として覚えられているし、娼婦たちも少し時代錯誤にシュール。
さてポスターにも出てくる、物語のテンションが張り詰めるホテルでの食事シーン。
栓を抜かれるペリエジュエの瓶に描かれた白いアネモネが目を引く。ベル・エポック、セヴリーヌはそれだけを飲む。グラスはSaint-Louisか。ドヌーヴの今の堂々たる姿を知っているからか、やはりこのキャスティングじゃないとあの老婦人の緊張と不安は出せないように思う。ポスターにある「私の心はあの日に還る」だったか、は、だから機能しない。あの日のままのユッソンと還りやしないセヴリーヌが。しかし昼顔がセヴリーヌの妄想シームレスな心理劇だったのに対して、夜顔は年老いたアル中ユッソンの妄想であったのではとも思う。セヴリーヌが去った扉の向こう、美しい鶏が画面を横切る。剃刀が眼球を、馬車が画面を、横切る。ように。そしてユッソンがシガーをくゆらせて去り、残された給仕たちは「本当に変わった人だ」と口々に言いつつ妙な手順で部屋を片付けながらキャンドルが部屋を横切り夜闇が降りる。
それにしてもセヴリーヌがこだわる質問、要らぬ真実などを追究したがるのは女の仕事だなと改めて。意地の悪い描写だな、と思う。女の美しさはその歪みにこそあるように、飾り立てた煌く闇の絵。

さて帰りに外苑前のバーで食事をしていると、やってきた近所の古参リストランテのイタリアーノ軍団に囲まれる。その一人が私の携帯番号を聞きだそうと開いた待ち受け画面に可愛らしい女児二人の笑顔があり、帰り際に引き止められたとき牽制を込め「ふたりは娘さん?」と聞くと「女はいつだってよく観てるな」とニヤニヤ笑った。確信犯、そして子どものように愉しみを追うことに躊躇しない点になんとなくユッソン=ピッコがイタリア系だと思い出す。一筋縄でいかない、と思っていたこの男がグループ内で唯一スタッフではなく経営側と途中の会話で知る。カメリエーレや歌手ら職人たちと違う種類の一歩置いておく会話と値踏みをするような目。残念ながらそれを楽しむほどの時間的な余裕はない有職婦人でして、するっと逃げ出して帰宅。
感想駄文長文失礼。今日はパリではRosasの新作プレミアだ。ああ次は四月まで見当たらない。悔しすぎてもう寝てやる、朝だわ。