マンチェスター

pesce2008-06-06

オープンのころに素敵なインビテーションカード(from dairy pressさん)をいただいていたのに、毎回ずっと足を運べずにいたTHCことTokyo Hipsters ClubのExhibitionにでかける。お題は"Joy Division~I remenber nothing~"という政治家か殺人犯の発言のようなタイトルであるけれど、これは1979年3月のつまりデビューアルバム発売直前の、マンチェスター南部でのライブ写真の展覧会。彼らの始まりの一番早い記録といえるのかな。言うまでもなくボーカル・イアンカーティスのpassed awayはこの翌年であり、孤独な輝きとともに否応なく「伝説」となったバンドは翌年ニューオーダーとなる。
来日もしたフォトグラファーのMartin O'Neil(当時18歳)は、
ごく偶然にこの瞬間に居合わせた、と言うべきだろう。
その後は地元の新聞での報道写真や音楽誌で時折、撮影するほか
現在は主業をウェディング・フォトにおいている。
ウェブは彼の名前だとアイルランドフットボール選手が通常出てくるので、
+ Joy Divisionして検索するとみつかる、けど最初は間違えたと思いスルーしてしまった。
だって、いきなり典型的な田舎の結婚式写真が全面に出て、
かわいらしい文字に色使いでWeddingとかあると。で、下のほうまでスクロールしていくと、
同じフォントで"Joy Divition"とあったりするんですよ。
さすがに驚きますけど、イギリスの地方都市だしこういうものだと納得するしかない。
イギリスはロンドンとその郊外くらいしか行ったことないですけど。
そしてそういう印象を更に強めてくれるその人O'Neil氏は既に酔っ払って
オランダ人のように陽気に笑い話しながら酒を飲み続けていました。
しばらく話して、彼らがこのライブハウスでギグをした日、そして偶然にも
その日を撮影できることになった話、一年後の悲劇、
それからこの写真をずっとしまっておいたこと、など話していたけれど、
いつもは結婚写真撮ってるの? と言う話題になると「だってハッピーだからね」ということ。
"If...I get marry with English man and marry in England, I'll order you."
みたいなことを言うと
"Wow it's nice! I'm free! let's marry! I'm OK now!!
I can take our wedding photo, by my self!! C'mon!"と
肩を抱えて外に飛び出そうとする。イギリス人も色々いるなぁと思ったけど
捩れを孕んでいるのは明白で。写真を公開しなかったんだということや
彼はこのギグの一年後死んだ、とイアンを指す、
この展覧会に来ていれば知ってるはずのことをわざわざ説明する、
その時、イアンは22歳だった、僕は18歳。などと言う。
片田舎のフォトグラファーの出会ってしまったものの影響を考えたりする。
"Blue Monday"、彼はマンチェスターへ帰っていった。


左上)ジャケットをTHCで買ったと自慢するO'Neil。結局再訪できず、マンチェ行くか。
左下)写真関連グッズも色々。商売っ気を出したのは誰だ?
6月6日といえばそういえばノルマンディではD-dayか。
あの辺の土産物屋の異様さだけ覚えている。