白金方面ギャラリーオープニング

近々、杉本博司さんの事務所一部と、ナンヅカくんのところも
移転してきてほぼ全館ギャラリービルとなる相互美術印刷(謎)ビルのオープニング2つ。
李演 LI Yan「Snippet」@山本現代
北京在住のアーティストだということだけれども、ともかく物量と情報量にまず圧倒される。
何の情報なのかは朧げに頭の中に像を結びかかっては散っていく。

壁一面ワンセットごとの作品。パノラマに映っていないが、あと3面分作品は続く。


ほとんどはインターネットやテレビで見た画像やその記憶から描き起こされている
ということなのだけれども、正直、情報規制の強い彼の地でこのような作品が
あがってくることにまず驚く。しかし絵自体は連想される政治的な事件そのもの、
などではなく事故や自然災害などを中心としているらしい。けれど色々なものを
読み取れる。そのような気がする。
まずアーティストの年齢の若さからか、作品自体に非常に速度が感じられる。
何かのキーワードやイメージに引っ張られて偶然に集まったイメージの集合体なのだと
しても、それが何かの方向性を保ったまま作品群に仕上げられていく。
グーグルアースからみた地形のようなものから、ニュース画像、日常の視界まで。
絵の技法的な面では東洋的なものよりドイツのよう、実際ドイツから展覧会の
引き合いもきているのだそう。

垣谷智樹「ステインズ・ストレイ」@児玉画廊東京
児玉画廊京都(児玉さん曰く、日本一素晴らしい場所!)の杮落としで
300平方メートルほどの空間にて行われたという前回のレビューを見て楽しみにしていた。

エンジンオイルを浸み込ませて輪郭に透過光の効果をつかったドローイング、
そしてスクリーンを使ったビデオインスタレーション、音楽が各所に配置される。

"stains stray" 染みが彷徨う、染みたちの迷い? タイトルのように彷徨う
光や音や影の「しみ」たちが、ぼんやり佇み、観るものも迷子にさせる。
ひとつ自分の中で、数年来あるテーマとして透過光と反射光の効果の違いという
当然と言えばそうなものがあり、ただメディアの中でもテレビは透過光であり
雑誌は反射光であり、インターネットは透過光であり、ステンドグラスは透過光で
聖書は反射光で、透過光は無意識に神のもので反射光は人のもの、という
受容がありはしまいか、と感じている。恍惚のように浴びる情報と、読み取り
選び取る過程が必須となる情報の媒体棲み分けとか、そういうことを思い出す。
この展示では映像や透過画の脇に、光に晒されたドローイングが唐突に柱や
壁に描き付けてあったり、というぼやっとすると躓く、という仕掛け空間とも思った。

帰り際に明治通りに出て久々に味噌汁バー1℃にたちより生麩汁と明太汁。
オープニングの頃にいた特殊キャラ装備の美女が店に戻っておりまた来ようと思う。
ここは深夜に来て、一番奥のソファ部屋を占拠して窓の外の川を眺めるのがいい。