Artist File 2009@NACT

明日から始まる新美の『アーティストファイル2009』プレビューへ。

まず美術館周辺に平川滋子”光合成の木”が鮮やかに繁る。
昨年に続き、新美のアニュアルになるという、国内外で活躍する
「現代の作家たち」を選び出しプレゼンテーションするという展示。
昨年は8名、今年は9名の作家が選出されたけれど、ともかく作品量が多い!
一人で、ギャラリー展示一回分(以上)を9名なので、9つのギャラリーを
息つく間もなく回っていくような勢い。
出展者は、大平實 石川直樹 金田実生 齋藤芽生
津上みゆき 村井進吾 Peter BOGERS 宮永愛子 平川滋子(展示巡回順)
て、ことでざっくり感想だだ書きレッツゴー。

エントランスをくぐり大平實『サンタ・アナの風』に吹かれる。
木製チップの表面が一見素朴な大型立体作品の林立する空間で、外界と巧みに
分離されるのか。廃材を鉈で削って作ったと言う鱗のような破片を貼りこんだ
『砂漠の木』『地上の雲』など。編み籠のようなモチーフでありながら
民芸品的な湿度のない、ある意味西洋的美術的に調律された製作と
影響を受けたという中南米独特のコントラストのような光と風がある。

次を覗くと名刺交換の列に囲まれた石川直樹くんがいた。
本人とは多分、NEUTRAL(現・TRANSIT)のパーティで渡辺真君に紹介されて以来。
作品は北極圏やフランスの山岳地帯、そしてアフリカなどのヴァナキュラーな人間の手の営みだが
日常を”超えていく”驚きがあるもの。富士山火口の空撮もあり。
本人としては大判の作品をもっと出したかった(今回は二作だけ)が
スペースがなかったとのことで、次の機会も楽しみにしたい。
今回も元々好きな作品が多く、いいまとまりだと思うけれど。

金田実生。左端『夜が少しずつ降りる』などはタイトルと絵柄から一見すると絵本のような
牧歌的な空気を感じるけれど、単に素朴さで片付けられない質感がある。
非常に様々な絵具を使っていることに気づいたのは右端の花粉と油とクレヨンを
使用した作品で、油彩をキャンバスではなく紙の上に溶き重ね描いていることがわかる。
また履歴を見るとその作品に辿りつくまでに
時間と試行錯誤を重ねた作家であることが見て取れる。
描こうとしたモチーフを物理的にも情景的にも何度も何度も繰り返し重ねていく中で、
一見柔らかな表現に滲み出した輪郭に、強い原型を感じるのだろう。

斉藤芽生。まずはスペースと物量で圧倒、更にその技巧の精密さと
いちいちこめられた含み笑いの濃密さに酸素が薄くなる様な感覚。
花輪シリーズから植物からおみくじインスタレーションまで、新作旧作とりまぜて
分け入っても分け入っても毒。
既視感溢れる”ケ”のモチーフを、祝祭感溢れる花輪や緻密に彩る色彩や
フォルムで描ききる。なんというか普段意識から消しさっている
「不気味な風」がギラギラにドレスアップして追いかけてくるようだ。こわい。
作品タイトルや作品自体に使われている「言葉」「文章」の力も相当強い。
それが巧妙なくすぐりになって作品を開く。
おみくじは「吉・焦っているときの君の匂いが俺はたまらなく好き」でした。
だいたい焦ってるのですが匂いますかね。私。

津上みゆき。後日同行した某氏が「いいよねこの人、美人だよね」←この一言が
作品評価にかかっているのかどうか微妙になるからやめい、と思う。
女性作家は大変だな。
さて私自身は彼女の作品は初見で、色の洪水のような同じサイズの作品が
比較的大きな窓のように並ぶ展示に、まずは美しい季節の光、と言う印象。
タイトルを観ると"View"シリーズで日付、時間などが書かれており
風景画なのだという。けれど同じ日付でもその年は数年単位で幅があったりする。
巡り来る季節の反復と変化を煮出して塗り重ねているような。
展示されているのは今の季節、春のものたちで、それは恣意的に選ばれたそう。

村井進吾。ひたすら石です。作家本人もなんか作品に似ている気がするくらい石ぽいです。
静かでピシッとしているかと思うと、触るとやわらかいんじゃないかと言う
テクスチャーも真っ黒な石の塊から彫りだしています。
全て石材は黒御影石で、シンプルな長方形かと思うと
切り出した型同士ぴっちりと組み合わせてあったり、その代わりに
水がぴっちりとその空間を埋めた”半分の水”などもある。
体育館のように広く長細い空間の中で一見四角の黒い石たちが配置されている図は
静謐と言うより不安感さえある。が、ひとつひとつに近付くと
非常に精密に人の手が入っている、触れてみたくなるが自制。

ピーター・ボルヘス。つるされたモダンな照明のようなスピーカーの下に立つと、
割り当てられた個人の声や息遣いが聞こえる。先日の40声のモテットを
思い出すようであるが、大画面に映し出された顔(量子学者であり瞑想者である人物)が
喋る言葉に呼応するようにさまざまな国の言葉で唱和、というか歌う。
ある種の宗教性を感じるが少々歪な怪しさを意図されているのだろう。
作品名は『統一場(The unified field)』であり尚更だ。
思想と宗教と言語と、声自体によるポリフォニー複合体。
時間があったらそれぞれのスピーカー(どこかの国の個人的な声)に
寄り添ってみたいとも思う。


宮永愛子さんは天井高のある部屋を目一杯に使った貫入音の鳴る
陶器のインスタレーションと古箪笥の中に仕込まれたナフタリンのシリーズ。
一番象徴的な時計のナフタリン彫刻は今売りの『ART IT』誌の表紙も飾っている。
彫刻たちは刻々と気化して再結晶しその姿を変えて行き、
陶器たちは日々刻み込まれるヒビ(貫入)に音を奏でる。
光を浴び白く儚げなナフタリン彫刻、耳を澄まし一瞬の音を捉えようとする陶器たち。
時の流れを変奏して差し出す美しいプレゼンテーションだと思う。


ナフタリン電車が結構スピードがあって撮れなかったのでムービー。

平川さんは面識はないのだけれど、スピーチのときに一生懸命に言葉で訴えていた姿が
印象に残った。環境のこと、やるべきこと。
太陽光と言う、昔ならば神の領域と考えられていたその恵みを
可視化して気付きを与えようとするのは、寺院や教会のIconや建築のような役割か。
この”光合成の木”は、日が当たると紫色に輝き、日が翳ると白く脱色される。
それが新美の建物の周囲を覆っているだけでも、
かなり高揚感、祝祭感が出るし、インスタレーションとして成功していると思う。

この日はざっくり見終わって、急ぎ帰社する。