ユトレヒトからChim↑Pom『広島!』展

全く位相の違う世界を行き来してきたような一日です(笑)
『ピカッ』騒動については、実際に騒動中にはほとんど情報がなかったことと、
私自身がChim↑Pomの作品をウェブとか人からの話でしか聞いていなかったりしたので
深くは考える機会を取らなかった。
さてまずは緩やかにフレンドリーな表参道NOW IDeA by UTRECHT
■山下麻衣+小林直人 "playing with time"

きりーんさんのセーター! でした。

左は着用模型、動物園でキリン見ながら編んでる写真もある。
右は↓の一枚、折鶴の中からどんぐりの芽。なんとなくこの後に行く展示につながりを感じる。



展示ルームの前にはセレクトby江口くんの本棚。仕掛けものも多くちょっと物欲が出る感じ

雨なので閉まってましたが広いテラスではカフェとプランツインスタレーションも。
元々ここは#201と言う名前のサロン的な場所だったのだけれど、
そのころから普通にカフェだったので晴れた日にまた来たい。
さて、雨の中をとことこ歩いて原宿に抜ける。
Chim↑Pom展「広島!」@原宿Vacant
実はこれが直接作品を見る初めての機会となった。
どこまで意図的に彼らが活動しているかも見当つかなかったし、ただ話題になっていて
周囲では評価の高い集団だったので、慎重に観る機会を取らないと
わからなくなるなぁ、とは思っていた。少々懐疑的に見ている部分があったからだ。
そして機会を逸しているうちにこの騒ぎが起きて、栗原さんところ
明日まで! と言うことを知り、(近所だし)ともかく一度無理にでも観にいかないと
なんかナマなとこに触れる最後のきっかけかもしんないものなぁ、と
雨の中、出かける準備をしたわけだ。
比較的「平和教育」的な環境に幼い頃から身をおいていた自分としては
「ピカ」という言葉だけでも少し背筋が堅くなる。広島には直接の縁はないけれど、
祖父の東京大空襲の話*1などと結びついて、ある朝唐突に見慣れた日常や
親しい肉親や友人が消え去っている戦争らしい(未経験の)不条理さや、その光景の
今の日本でめったに遭遇しない壮絶な描写をからなる『戦争』を成人するくらいまで反射的に
”嫌悪”の対象としてきたと思う。思考停止といえる程度には反射的なものだっただろう。
机上ではない歴史や政治やアートを直視して、その中にいることの認識と想像力を
別個に動かせるようになったのは、ようやくそれくらいからだったんだと思う。
それでもこの手の話題にはまだ、考える前にとっさに喉元に暗い塊が訪れる。

実際、会場で見た作品とメンバーたちや場の空気からすると、
普通に、これはギャラリーで観る現代アートと沿う大きな隔たりを
感じることはなかった。
メンバーたちは、気さくで丁寧で柔らかな物腰で作品を解説してくれ
作品は、ひこうき雲が青空に、ぱっと見なにをやっているかわからない
くらいの速度とぼんやりした線で「ぴ〜か〜っ」と描いている映像、
そしてちょっと速度をあげてわかりやすくしたヴァージョン。

あの時、あの撮影をすること自体がパフォーマンスになりえるとは
考えていたのかどうか、それを聞くのを忘れたなぁ、と思った。
(と言うのは実はこの辺りから徐々にノロ発症していたことあとで判明)
素材として撮影をする、それもCG合成とかじゃなく現地で実行して
しまうということに対して、ただの映像素材作成以上のことを起こして
しまうかもしれない、と考えなかったとは思いにくい。
誰でもが観ることのできる空に、文字を置くこと。その閲覧の自由と強制。
意図的にそれがなされたとしたらそれは悪意でも勢いでもないと私は感じた。
既に言われている意見の、事前のコンセンサスや美術館の対応
アーティストの不注意(?)、周囲の(主にメディアの)過剰反応、
それらは確かにそうだ。*2
ただ自分のような仕事をしていると、予定調和を超えた作品を作るためには
時に"ダマ"で動かなくてはいけないときがある。今の会社に来てからは無いけれど
予定調和でないものに対して牙を剥きやすい上品な人々は多いし、彼らは
事前説明をすれば絶対にNOと来る。経験上、仕上がったものを見せるとほぼOKだけど。
問題は広島はその名前の浸透度も含め非常に政治的な磁場でもある。
その重力場を軽やかにすりぬけるようなダマは、なかなか厳しいのだ。
ちょっとした手順を踏んでおく必要はあったんだろうと思う。

リアル千羽鶴は、製作途中ということで実物大の鶴の模型に色々な羽毛貼り付けて
本物に近く作られた丹頂鶴が8羽ぶら下がり周囲を紙の千羽鶴が8千羽だたか
囲んでいた。本当はMOCAでの展示用に地元の子どもたちが数万羽折ってくれて
いたのだけれども、それは使うことができなかったので自前で折ったとのこと。
ていいますか、鶴の重さ的に強度を変えないと完成予想図の千羽鶴は不可能。そりゃそう。

今回の先行販売『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』は既に売れ切れのお詫び写真
帰りに同行者と原宿さくら亭にてお好み焼き。しかしこのころにはノロ発生で
結構、行ったりきたりすれ違いの腹状況であまり食べれず。
スタバでお茶飲んで帰宅して倒れ翌日病欠。

*1:祖父(故人)は、亡くなる数年前に突然自身の空襲体験を出版し、NHKなどの取材を受ける程度には反響を呼んだらしい。ただその時期を境に精神的な陰が強まって行ってしまったけれど。

*2:蔡國強の黒い花火について被爆者協会はchim↑Pomの陳謝の際に初めて説明を聞いたと言う話もある。それがなかったらどうなっていたんだろう。彼の作品とくっつけて論じることなどできないが、もしかしたらもっと何か別の形の悲劇が待っていた可能性だってあると思った。

横浜〜渋谷〜吉祥寺

金氏徹平『溶け出す都市 空白の森』@横浜美術館
年始に横美に行った時ちょうど、記者発表をやっていた展覧会が開始。
正直このだだっ広い空間をどのように作りこめるのか
想像もつかないままだったけれど、見事に染み出し溶け出す
ある空想の、実在の交じり合う、つまり都市としか呼べない空間を
人々が行き交っていた。真っ白に塗られた、元は別の用途のため形成された
さまざまな部品が積み重なり混ざり合い新たな象徴を立ち上げている。
染み出したコーヒーの茶色が壁を染めて声を発している。
その場で組み立てたらしい流木は血管のように空間を張り巡る。

流木はヤフオクなどで買い集めながら美術館に直送されて組み上げられたらしい


子どもの遊びのようで、キッチュな悪趣味さのようで、
品性が損なわれないあくまで「作品」を生み出し壮大な物語として
この展示空間を埋め尽くしていったと思う。

本人の言葉で物語性が否定されようと(いや特に否定してないけど)
空白を可視化するために石膏が流し込まれ、液体を手に取り積み上げるために
コーヒーの染みは切り取られ、子どもたちの遊びに手を振って「世界」へ向かう
道を歩く作者の手つきが見える気がする。
アサンブラージュ、とか呼んでしまうと重要な部分が白く飛んでしまうような。


SHUGO ARTSの佐谷周吾さんと鈴木芳雄さん。同級生!

ジャケット姿の金氏くん。コーヒーの染み風・ポケットチーフ?は自作
夜、某医院の改築さよなら会
渋谷に戻り旧東急会館跡地脇のとんかつ屋で食事のち
愛する東横のれん街「たねや」で桜餅と蓬餅をお持たせにして
井の頭線で吉祥寺へ。あるアートコレクター一家の古い医院
兼住居を、青木淳さんの設計で改築するのだそう。
1
医院の設備がそのまま残る一階

この日のためにディスプレイされた幾つかのコレクション。家財はほぼ引き払っている

血圧計用の台をテーブルにカフェ化する元・待合室。

秋山祐徳太子先生のお土産作品、ブリキの富士がなぜか建築見本の一室に。

左)中庭が修道院のよう。右)いつも女子に囲まれて自称"ショーンコネリー"秋山先生

アオキ設計事務所のスタッフの皆さんとピザを食べる。
東京のこういった場所にこれほどまとまった土地があること
の稀有さと、それをちゃんと生かしたつくりに完成が楽しみ。

ミッドタウン2周年

ミッドタウンが二周年だと言うので行ってきた。
お得意様を入れての、全館貸し切り状態だったらしく
遅めに出動した我々はとりあえずシャンパンにありつく。

くじ引きで枚数が決まるコイン制だった。
シャンパンはモエ一杯コイン二枚(笑)。

ミッドタウン後、トラウマリスに行くとライブだった。
なんとなく、オリジナルの曲がカーネーションズに似てると思った。
って言うか音楽を自分で聴かなくなってどれほどたつだろう。

ウィスキーを二杯飲んで、1時ごろ店を出る。
帰りタクシーから友人に電話すると15m先の明治通りを左折、
10mのNで飲んでるというので、立ち寄って久々の人々と二時間ほど飲む

東京の真ん中街

で、葉桜がツツジに入れ替わろうとしているこんな時期に
桜咲く前の記事をなぜちまちまアップしているかと言うと、
三月入ったとたんに角膜炎が一ヶ月、一進一退で続き目を閉じて何も見えず。
異動がありノロ罹って一日休み、目が見えない&なれない眼鏡のため
(九本あるそれらは部屋でしかかけない)階段から二回落ち、
二度目の四月上旬は足の親指爪をメロンとはがして、大出血のち、
いまも根元だけでくっついてる(多分しばらくすると全部取れる)という
満身創痍ながら出社はできてしまう(ノロ除く)ので休みきれない
というままずるずる生き抜いてるのでブログ、無理。だったというわけで。
まだ治ってないけど全部。さて、少しずつ更新だ。

Jun Fujita & John Tremblay@Gallery Side2

この日は清澄にも行きたかったけれど結局間にあわずで
東麻布のみ、ぎりぎりに到着する。
藤田淳とNYのJohn Tremlayの二人展。

左が藤田淳、右がジョン・トレンブリー。一見、ミニマルだったり似た作風にも感じるが……

藤田の大型アクリル画。規則的なリズムやサンプラーの音、光を感じる。

同じく藤田淳、やはり線のリズムと紋様の具象化が音楽を内包する。

ジョン・トレンブリー、これは版画で、色の入った同じモチーフのものもある。
会場写真(一番上)の右手に見えるような有機的なモチーフのパターン化というか
そゆ意味で藤田と似て非なる独自のリズムがある。ここでは展示されていないが
立体にも精力的で、写真で見せてもらったパリに展示中のサーカスの
バイクトラックにもなる? カラフルな彫刻などは見てみたいと思った。
その写真は会場もよい。(教会を使ってたっけ)
ちょうど会期が終了でもうすぐNYに戻してどこかにまた展示するとのこと。


二次会には参加せず、歩いていったトラウマリスは市川君のライブ中で満員。
一杯だけ飲んで、線香で絵が焼き上げられていくのを肴にしばらく滞在。

この翌日に、うちで五色納豆を作ってくださるというひとがあり、
納豆が食べられるようになりました。
大阪で、生まれた、女が、今日〜。(自分としてはけっこうな事件)

ただ具材がずいぶん豪華だったこともあり、普通の納豆が
食べられるようになったかはわからない。
藁包み納豆、マグロブツ、イカ刺し、筋子、沢庵、オクラ、
山芋、味付け海苔、胡麻油、醤油、大葉……
ってめっちゃ具だらけ。白米丼にかけいただきました。

「平泉〜みちのくの浄土〜」@世田谷美術館

なかなか抜け出せなくぎりぎりになったので結局、
プレスプレビューを諦め一般向けプレビューへ。
案の定めちゃくちゃなこみ方だし、ほとんど落ち着いて見れないが
それでも昔見た金色の平泉仏像群に迎えられ浄土気分。

いきなり中尊寺金色堂がいらっしゃ〜い、目が眩みます。

二天立像、昔はあんなに怖かったもんだけれど。
主に踏み潰されてる天邪鬼が悲しくて。

聖観音菩薩立像、カツラの一木で、鉈彫りのノミ目が見事。
霊木から立ち現れたことを示すのだそう(豆)。
広いスペースでかなりの数の御仏さんがいらっしゃってますが
ずいぶんこんでおり偶然流れ着いたもののみ撮影。
とはいえ、昔、見られなかったような曼荼羅図やら経文もざくざく。

紺地金銀一切経中尊寺経・華厳経
金銀交互の経文、仏画もキラキラに絢爛

金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅
文字塔写経ですが
何がすごいって、この塔型に金文字で経がびっちり
書いてあったりする。

部分拡大図

小雨の中をとことこ帰る。少し遠いのでなかなか来る機会がないけれど
晴れているこれからの季節なら砧公園とかゆっくりできれば気持ちいいんだろうな。
帰り際に用賀駅でハンバーガーを食んで帰社。

ジュリエット・ビノシュ ドローイング展

昼間は従兄弟の結婚式。警視庁と日赤の取り合わせ。
力を合わせて市民の健康と平和を守っていただきたい。
というか、金モール礼服着た従兄弟がピーポ君にしかみえないのと
日赤嫁さんが美人過ぎる良いカットがあるのを掲載したいけれど
縁切られそうなので自粛。
しかし、あんな儀式を行わなくてはいけないと言うのはやはり
結婚と言うのは過酷な試練だと思った、そんなんだから(略)
さてフレンチと和食をなぜかそれぞれコース2つくらいの
えらくボリューミーな式飯を食べさせられ授業参観のような
身内近親者スーツでふらふらと帰宅したところで、
急遽、お誘いいただき芋洗い坂のZEL CAFE/GALLERYに行く。
"JULIETTE BINOCHE PORTRAITS IN EYES"
ある意味今日一日で蓄積しかかった何かを抜く感じでありがたかった。

フランス映画際関連で来日のジュリエット・ビノシュ
明日からはアクラムカーンとのダンスの舞台も控えている。
アクラムカーンは7月の日記でも書いたけれどギエムとのステージがかなり
印象に強い、力強くカラフルなイメージの(比ゆとして)ダンサー。
あれだけの実力のダンサーと組むと言うことも彼女の多才さに正直驚く。

自身の出演した映画ごとに監督へメッセージとポートレイトを添えている。
片手間の趣味と言うにはレベルが高い、訓練の蓄積の見えるクオリティ。
そこに、女優と言う立場からの視点や作品の方向性もあいまって予想以上に
作品に見入ってしまう。
それぞれの出演映画の監督、そして自身の演じた役柄のドローイング。
カラックスやルコントなどは複数。
フランス語映画にはフランス語、英語モノには英語でメッセージがある。
会場は、映画祭絡みでいわゆる日仏で見る顔たちが大体一揃いというか。
のち、麻布を一周歩いてからイモ洗い坂の洋風? モツ鍋屋で
夕食。レモンサワー。どこか日曜の夜ののんびりさ。